高柳允子の日々雑感
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兄が死にました。
62歳で脳梗塞。以来13年間の療養生活。
兄との楽しい思い出はあまりありません。
私が中学1年の終わり頃父が死んで、
中学卒業目前の双子の兄は叔父に引き取られていきました。
バブル景気がやってくるまでまだ少しの時間が必要な時でした。
安い労働力として叔父の建設会社に就職した兄は苦労の連続であったようです。
楽しかるべき定年後を病床に伏せったままだった兄を思うと、
胸がつまりそうです。
葬式で、信仰厚かった人柄が語られたことは救いでした。
また最後まで看病した妻と娘の存在は、大きな幸せだったんだと思います。
兄と離れて暮らしていた私に音楽を指導してくださった先生は
昨年亡くなりました。あと1週間で102歳という時でした。
私は音楽のおかげで充実した日々を送ってこれたことを、
感謝する気持ちでいっぱいですが、
健康上の不安を抱えながら、
最後の時についてふと心配のよぎるこの頃です。
62歳で脳梗塞。以来13年間の療養生活。
兄との楽しい思い出はあまりありません。
私が中学1年の終わり頃父が死んで、
中学卒業目前の双子の兄は叔父に引き取られていきました。
バブル景気がやってくるまでまだ少しの時間が必要な時でした。
安い労働力として叔父の建設会社に就職した兄は苦労の連続であったようです。
楽しかるべき定年後を病床に伏せったままだった兄を思うと、
胸がつまりそうです。
葬式で、信仰厚かった人柄が語られたことは救いでした。
また最後まで看病した妻と娘の存在は、大きな幸せだったんだと思います。
兄と離れて暮らしていた私に音楽を指導してくださった先生は
昨年亡くなりました。あと1週間で102歳という時でした。
私は音楽のおかげで充実した日々を送ってこれたことを、
感謝する気持ちでいっぱいですが、
健康上の不安を抱えながら、
最後の時についてふと心配のよぎるこの頃です。
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