[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「クリハラ」って言葉を今年初めて知りました。クリスマスハラスメントですって。町中クリスマスメロディだらけ、サンタクロースだらけ、もうウンザリだっていうわけ。これが「クリハラ」。
デモで、サンタさんの帽子かぶってたらチラシの受け取りが良かったって仲間の話もあるし、ウチの教会ではクリスマス祝会やめて、くる年もくる年も「クリスマスってなんだ」ってギロンしてました。Seald’sの「民主主義ってなんだ」のさきがけですよぉ。
「クリスマスの讃美歌うたいたいねぇ」って声が出始めて、クリスマス礼拝と祝会復活したら、なんと15年たっていました。
商業主義のクリスマスとは違うし、ご馳走持ち寄りで、各自育った町のクリスマスの祝い方を披露したりして、最後にはクリスマスキャロル歌うと、クリスマス祝ったぁって実感が湧くのよね。
我が家では、別に何をするわけでもないんだけれど、一応ツリーは飾りました。孫は友だちを招いて遊びました。出番つくってくれればクリスマスの歌でも弾いてあげられるかと思っていたけど、お呼びはなーし。彼らにとっては定番のクリスマスって、ツリーぐらいなのかしらね。
きょうはツリーの片付けで、長男は妹が手早く片付けをしないのでブツブツ言いながらも片付けました。いいお兄ちゃん!
土曜日、丸尾美津穂先生のお別れ会が行われました。
100歳まで、あと49日という6月23日、召天されました。
長女がアトピーだったため、お医者様として、随分お世話になりました。
安全な食べ物を求めて落合消費者の会(新宿区)を設立し、共同購入に力を尽くしました。
食べ物通信の理事も務めていらして、私も編集のお手伝いをしていた時期がありました。
夫である故丸尾俊介牧師と二人三脚で、消費者連盟設立にも力を尽くし、私の市民活動、政治活動はすべてここから始まりました。
お嬢さんの丸尾めぐみさんと音楽仲間が美津穂先生の愛唱讃美歌をうたったり.朗読したり、素敵な想い出深いひとときとなりました。
月曜日、「樺太抑留に新資料」の文字が読売新聞1面に大きく書かれていました。
「29万人管理記録 死亡263人名簿も」とサブタイトル。
数年前に機密指定を解かれた資料とのことです。
消息を捜しておられた方々は、一刻も早く身内の名前を見つけ出したい思いでしょう。
この新聞記事を見ていて、ふと、故丸尾俊介牧師の著書の存在を思い出しました。著書のタイトルは「語りかけるシベリア」。昨日と今日、一気に再読しました。
前半はシベリア抑留生活。
大正デモクラシーなど教えられもせず知ることもないまま、お国の為に戦うことを従順にうけいれてしまっていた姿が赤裸々に記されています。
後半は「死ななかったから生きているだけ」の自分から自立した個への意識化と問題への取り組みが記されています。私も共に行動した反原発のための料金不払い運動のことや、粉ミルク問題を考える会のこと、落合消費者グループや愛農消費者の会のことも記されていて、一所懸命に活動した当時のことを懐かしく反すうしました。
今課題となっていることのほとんどが記されていて、あの時代、すでに今日の課題が人々を蝕み始めていたことが思い起こされました。ご存命であったなら、今の状況について深い洞察を聞くことができたであろうと、改めて先生のことばを噛みしめています。
キリスト者政治連盟(キ政連)の総会準備で2015年の活動報告を作成。
昨年から活動を一覧表にしています。
何を書いておいたらまとめのとき便利か考えて始めたのですが、まだまだ改善の余地のあることがわかりました。
それでも、一覧のおかげで、わりと短時間で仕上げることが出来ました。
と言ってみたものの、ちょっとした言い回しがまずくて、丸一日かかってしまいました。
久しぶりに「相棒」も見たし、「科捜研の女」も見て、活動報告も仕上げて、なんかスッキリした気分。
実は次々やらなくてはならないことが控えていて、テレビなんか見ている場合じゃないんですが、見たことで、かえってゆとりができた感があるのって不思議ですねぇ。
これで、明後日来てくれることになっている長女ともゆっくりできるな。
きょうはクリスマス礼拝。
夏以来行ってなかった下落合教会へ行きました。
福島県の児童養護施設の子どもの健康を考える会の澤田さんがいらしてました。
1月31日の考える会総会のあと「音楽の会」を担当する丸尾めぐみさんが礼拝の奏楽をしました。
山谷のマリア食堂で働いている礒部さんにも何年ぶりかでお会いでき、山谷の様子をうかがうことができました。マリア食堂では、施しをするのではなく、安くて栄養バランスのとれた食事を提供することをモットーにしています。
祝会には教会学校の生徒さんたちも参加されましたが、親子三代教会付属みどり幼稚園に来ているという方々もおられ、信仰がひきつがれていくことを嬉しく思いました。
円形に配置された座席の真ん中に4本のロウソクのともったクリスマスクランツがおかれ、その足元にはポインセチアが4鉢、シンプルな装飾の礼拝でした。
久々にお会いする方々に平安が感じられ、御子の生誕を祝う讃美歌に涙がでそうになりました。
ここ10年くらいは地元のイベント等で日程を埋めていて、礼拝にはあまり出ていませんが、亡くなった丸尾牧師が「散らされた教会」という概念をくださったので、この言葉に依拠して、私なりに地元で神様の平安が成就しますようにと活動しています。
でも、やっぱり、生身の人間にお会いすることは実にいいものです。幾つかの齟齬があって、何をおいても礼拝にという気持ちにならないこともありますが、信者さん同士は、家族の様に暖かい気持ちの通じあいがあって、気持ちがやわらぐのです。
高齢であったり、ご病気であったり、遠方にお住まいだったりして、礼拝にこられない方へのクリスマスカードにメッセージを書いたり、祝会の準備・片付け等々、何かと忙しい中でしたが、戦争法の廃案を求める統一署名も少しいただくことができました。