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高柳允子の日々雑感
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上広谷第2自治会が「第2回文化まつり」を開催しました。

健幸カフェの仲間も参加しました。

まずはPNGコーヒー、そして蒸し饅頭、緑豆汁、玄米おむすび。

昨年は2日間でしたが、今年は1日だけの催しです。

 

健幸カフェのメニューの量は昨年の6割ぐらいかなぁとの予測は大外れ。

12時に早くも完売品目があり、来場者からお叱りを受けてしまいました。

コーヒーは開会から終演まで絶え間なくドリップして対応しました。

お店には売ってないメニューが好評でした。

 

ステージはコーラス、マジック、エイサー、獅子舞、ピアノなどバラエティに富んだプログラムで、エコ鶴も新作紙芝居「もったいない改革第2段」を上演しました。

資源じゅんかん部会長が一人でたった2日間で仕上げた紙芝居です。

リニューアルするねと言っていたので、少し書き直すだけかと思ったら、全面新作!

部会長の才能には改めて脱帽です。

 

玄人はだしの各種手作り作品は見ごたえがあり、写真作品や書、絵画など、上広谷にはほんと、文化人いっぱい。

昨年知って感心していたご近所さまの集まり「いきいきサロンモンブラン」が表彰されて、表彰状も展示されていました。

 

早くに発展した地域なので高齢化が問題になってはいても、こうしてみると、若い夫婦や子ども連れも結構多く、この催しめがけて息子娘たちが帰ってきているのかなぁとも思いますし、地域に住んでいる若い層もお年寄りも楽しむチャンスとなって、なかなかいい催しです。

 

久しぶりに会う元ポリトライブのメンバーに協力を仰いで「戦争法の廃止を求める統一署名も20筆以上集まりました。

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知り合いの女性から、「息子がこんな面白いものをくれたの」と一枚の紙を渡されました。

 

 

安倍ニモマケズ

 

石破ニモマケズ

高村ニモ公明ヤ維新ニモマケヌ

平和ナココロヲモチ

欲ハナク

決シテ諦メズ

イツモ官邸前デ抗議シテヰル

 

東ニ解釈改憲ガアレバ

行ッテ猫パンチ

西ニ集団的自衛権容認アレバ

行ッテ爪ヲトギ

南ニ米軍基地ガアレバ

行ッテココカラナクナレトイヒ

北ニ領土争ヒヤ紛争ガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

 

ヒデリノトキニモ集会ニイキ

デモノトキハオロオロアルキ

デクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフ猫ニ

ワタシハナリタイ

 

発行は

肉球新党 猫の生活が第一


背景は…モチ、ネコ。見る者をじっと見つめている。

 

ヨシダヨシエ先生の前夜式に行きました。

ご自宅の玄関の外にあった彫像が移動してきていました。

とてもダンディな姿です。

上半身裸を憚ってか、ネックウォーマーを着けていました。

 

しめやかな抑えた声で進行を務めるメモリードの職員に対し、息子さんたちはハチャメチャだった親父の人生を語り、前夜式終了後の食事の席は形だけではなく、ヨシダ先生とご縁のある方々の談笑する姿で賑わっていて、異色のお清めの席でした。

 

告別式では、受付のお手伝いをしました。

マスコミや画廊の方々もお見えになり、弔電も沢山寄せられ、息子さんからは、昨夜とまた違ったエピソードが語られ、家庭人として認めがたい人生であったとはいえ、「父」への暖かい愛情が感じられました。

 

寄せられた「志」は鶴ヶ島市の文化・芸術活動振興事業へ寄付なさるとのことでした。

また、アメリカの大学から先生の文庫を作りたいとの打診があったそうです。海外からはそのように認められていても、この町でそのような声を聞きません。

先般、春画展がマスコミを賑わしていましたが、その方面の貴重な書物も沢山収集なさっていて、もしお元気であったなら、あの展覧会にもなにか一言あったはずと残念でなりません。

 

ヨシダヨシエ先生がお亡くなりになりました。

ヨシダ先生の名は美術誌で知る程度でしたが、戸村一作さんの個展をプロデュースなさったことはよく覚えています。

私の所属教会の牧師だった故丸尾俊介先生が三里塚教会からのSOSに応えて運動を支援していた頃の三里塚空港反対同盟の代表だったのが戸村一作さんでした。

牧師の妻の丸尾美津穂さんがお医者様だった関係もあって、ガンで入院なさってからはしばしばお見舞いに行っていました。

丸尾夫妻は丸木夫妻と交流があって、東京での個展には私も行ったことがあります。美術館も応援していて、粉ミルク問題を考える会支援のためのTシャツのデザインは丸木さんでした。

 

鶴ヶ島に引っ越してきて、「ヨシダ ヨシエ」の表札を見つけた時にはびっくりしましたが、後にパプアニューギニア(PNG)の造形美術品啓発にかかわっていた市民団体ポリトライブとのご縁で何度かお宅をお訪ねして、親しくしていただきました。

私の長女が先生のフアンで、一緒に先生のお宅をお訪ねしたこともありました。

何時間もおしゃべりをして、料理を作ってくださって、エッチなお話が大好きな点以外はほんとにすごい方でした。

 

ここ数年は丸木美術館にも姿をみせてないとのことで、お家が荒れ果て、どうしていらっしゃるのか、心配していました。

昨年亡くなったご近所の方から先生は亡くなったと聞かされて何人かの方に話したところ、まだ生きてるよって叱られてしまいました。

ああ、まだ生きていらっしゃったのか、それなら、沢山の蔵書の始末とか、誰か世話する人はいないのかしら、ってそちらも心配していました。お亡くなりになったとなれば、ますます心配です。

 

幸い日程的に可能なので、通夜と葬儀には行ってお別れをしてきましょう。

 

 

田口美恵子さんが一所懸命になっているので、友人知人10人ほどにお手紙書いて宣伝協力しましたが、すでに田口さんからチケットを預かっている方、日程の合わない方で、チケット捌けませんでした。田口さん力になれなくて、ごめんね。

 

さてさて、きょうは、その「冬の華音楽祭」でした。

シャンソン、ミュージカル、コミカルな歌もあり、なかなか楽しかったです。

出演者は岩崎桃子、小林遼介、古澤利人、真笛ひびき、フラメンコの西村さゆき、特別ゲストが田嶋陽子、広瀬真弓。

 

田嶋陽子は65歳でシャンソンを始め、70歳で書を始めたと言うから驚きです。

現在74歳。

黒いドレスに自らの書をデザインした、すっごく大きな提灯袖の白いコートを羽織って登場。

海の放射能汚染の話しも織り込んで、玄人はだしのシャンソンなどを披露。

フィナーレは濃いピンクのドレスでまたまたビックリでした。

 

岩崎桃子は盲導犬の一生を歌った自作「僕の使命」を披露し、

盲導犬を連れた櫻井洋子も出演し、盲導犬協会へのカンパを訴えました。

 

この界隈に住む音楽家を中心に、このようなコンサートが開かれるのは、とてもいいことですね。入場料がもう少し安いとお誘いしやすいのですがねぇ。

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