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きのうはバレンタイン。ママはハート型のかわいいチョコつくりに失敗。温度が高すぎたかもということですが、ポロポロしちゃって、型に流し込むという作業ができなかったんですよ。それで、コンデンスミルクでなめらかさを出そうとしたんですが、見た目最悪。あれっ、 そんなコマーシャルありましたっけ!? ただただ甘い、ちょあまのチョコになりました。孫たちは3つも4つも食べてましたけど。
おとといはコミレス(コミュニティ・レストラン)ここほっとのバレンタイン・コンサート。手話フラダンスのオハナ・オハナーズと、川高と早大つながりプラスアルファといったところのアカペラ男性コーラス。これがなかなかすばらしく、最悪の天候だったにもかかわらず、お店一杯になるほどのお客様を迎えて、ご機嫌なひとときとなりました。
じつは、この手のイベントにはなぜか抵抗があって、みずからはなかなか何かをしようとはしません。
学童では、女の子たちが思い思いのデコチョコ作ってカワイイ包装紙でつつんでいましたし、おやつのほかに男の子にはチョコプレゼントをしました。おまけに男性指導員のためにケーキを作ってきた女性指導員が、お相伴で私たち女性陣にもケーキを配ってくれました。
チョコやケーキを食べて、コンサートを楽しんだんですから、それでいいじゃありませんか、とは思うんですが、なぜ人々はこうしたイベントをウキウキと楽しむことが出来るんだろうかってギモンは消えません。
そう言えば、昔、こんな理屈をこねて、若い指導員を困らせていましたっけ。
実は最近そんなギモンに答えてくれそうな論調を新聞で見かけました。
一つは吉村正和の著書「心霊の文化史」の紹介記事。心霊主義が伝統宗教の衰退に伴う「代用宗教」として機能しているという。その流れの中にスピリチュアル・ブームがある、というものです。
もう一つは藤本龍児の著書「アメリカの公共宗教」の紹介記事。「見えざる次元」で社会を覆う宗教的な感覚や意識を公共宗教と表現したのだそうです。
伝統的に人をつなげてきたものの崩壊、でも、人はつながらなくては生きていけない。つながり方が多様化している現代。季節の節目節目を祝ってきた日本人にとって年中行事化したイベントは欠かせない物になっているのかもしれません。